日本でのタトゥー(入れ墨)の是非
海外(アメリカやオーストラリア)で暮らしていると、腕や脚からタトゥー丸出しな人たちをよく見かける。
子どもをよく連れて行く公営の温水プールでも、タトゥーを隠すことなく水着を身につけ、子どもと楽しそうに遊んでいる親御さんというのはごく自然だ。
(ただし、ちゃんとした統計データによる裏付けがあるわけではないですが、割合としては所謂ブルーカラーの労働者が多数で、ホワイトカラーの人は少ない。)
僕はタトゥーなり入れ墨をしていないので、こうした人たちは自分とは違うな、と思うものの、特に怖いだとか、避けようとは考えない。
一方で、日本国内ではまだまだタトゥーや入れ墨に対する偏見や否定的な意見が多いようだが、なぜなのだろうか?身近な例として、タトゥーや入れ墨をしている人の入浴を禁止する大衆浴場が多いのはなぜなのか?
1年ほど前に実施されたヤフーの自主調査によると、全面禁止という意見が最も多く、46%もの人が投票している。この1年で議論が大きく進んでいるように見えないので、おそらく今調査したとしても同じような結果になると思われる。
すべてを読んだわけではないが、禁止すべきという人のコメントを読んでいると、「犯罪人の証拠」だとか、「反社会的勢力の象徴」だとか、そういった偏見から来る抵抗感を理由に挙げている方が多い。
これまでの日本での長い歴史の中で育った文化(メディアやエンターテイメントを含む)が作り上げてきたイメージなんで、そういったイメージを持っている(持ってしまった)人たちを非難することはできないし、視野を広げてもっと違う視点で捉えるべきとか偉そうなことを言うつもりはない。
ただ、せっかく遠路はるばる日本を訪れた旅行客が、日本の文化を楽しみたいのにタトゥーが入っているという理由だけで門前払いされてしまうのはいかがなものかと思う。
年末に日本へ一時帰国した際、初めてお台場の大江戸温泉物語へ行ってきたのだが、想像以上に外国人観光客で賑わっていて驚いた。外国人といってもその多くがアジア諸国の人たちなので、タトゥーや入れ墨が議論になる西洋の方々とは対象が異なるかもしれない。
それでも、多くのオーストラリア人がスキーやスノーボードをするために日本へ旅行しているし、そうした観光地の近くには温泉があるケースも多いため、冒頭で述べたとおりタトゥー人口の高いオーストラリアからの旅行客をもてなすには、入浴条件の緩和はとても重要なんじゃないかと思う。
別にタトゥーや入れ墨をした人が横にいたからといって突然殴られるといったことは起きないし、インクがお湯に染みだして不衛生につながるなんてこともない。
どうしても不快を示す人がいるのを気にするのであれば、ラッシュガードを含む水着着用で入れる入浴施設にすればいい。それもアイスランドのブルーラグーンのような広大で混浴の施設にする。まあ、水着着用を持ちだすと、「風情を損なう」、「温泉本来の価値が薄れる」など、別の議論に発展しそうなので、ここではこれ以上触れないこととする。
とりあえずは、東京オリンピックまでに、先に挙げた大江戸温泉物語やラクーアなど、主要な温浴施設が旗を振って、タトゥーや入れ墨解禁を仕掛けてくれることを期待。
ChromebookへUbuntu Linuxをインストールする
前回の記事でChromebook導入の経緯と、現在までの使用感についてまとめてみた。
今回は、これまで何度か手こずってきた、Ubuntuをインストールして動かすところまでの作業を振り返ってみる。
大まかに、作業としてやることは次の4つのステップ。
デベロッパーモードへの切り替え
escとリフレッシュ(F3に該当)を押しながら電源ボタンを押すと、まず「レスキューモード」として立ち上がる。
画面が切り替わったらctrlとdを同時に押すことで、「デベロッパーモード」として起動することができる。
レスキューモードではでかでかと警告マークが表示されるため、多少の事前知識があったとしても焦ってしまうが、落ち着いてctrl + dで対処する。
なお、デベロッパーモードの扱いで気をつけないといけないのが再起動時のオペレーション。完全に電源を落とし再度Chromebookを立ち上げるとレスキューモードの画面が出てくるのだが、ここで何も考えずにenterキーを押してしまうと通常モードで立ち上がってしまう。この際、デベロッパーモードで保存していた全データ(Ubuntu環境含む)が削除されてしまうため、細心の注意が必要。
筆者も、バッテリーが切れてしまったChromebookを立ち上げる際に誤って通常モードに戻してしまい、再度長い時間をかけてUbuntu環境を入れなおした苦い経験がある。
ターミナルの起動
デベロッパーモードに入ると、Ctrl + Alt + Tでcroshターミナルを開いたあとにshellとタイプすることでUnixのコマンドラインシェルが使えるようになる。こんな感じ。
Croutonのダウンロードとインストール
chromeで以下のURLへアクセスし、croutonのスクリプトをダウンロードする。初期設定の場合、Downloadsフォルダに保存される。
次に、先ほど立ち上げたコマンドラインシェルに戻り、以下のコマンドを入力してダウンロードおよびインストールを実行。
$ sudo sh -e ~/Downloads/crouton -r trusty -t xfce,keyboard,audio,extension,chrome -e
chroot環境での起動
一時間ほどでインストールが完了したら、以下のコマンドを入力することでchroot環境に入ることができる。
$ sudo enter-chroot
ここまで来ればLinux OSとしてpythonなどのプログラミング言語を操作することが可能となる。
pythonのパッケージインストールについての話はまた次の機会に。
なお、上記のコマンドではなく、sudo startxfce4と入力することで、xfce4が別アプリとして起動する。インターフェース含めchrome OSとは異なる環境で作業したい場合に有用な方法である。
最後に、今回の記事をまとめるにあたって参考にしたサイトを紹介。
Chromebookを導入して
Chromebookを手に入れて3ヶ月近く経ったが、重宝しておりとても良い買い物をしたと感じている。
購入した機種はこれ。
ちなみに実際に購入したのは日本ではなくアメリカのAmazon.comであり、ネイビーが欲しかったが、なぜかアメリカ国外への配送は対応していないとのことでホワイトにすることに。
購入にあたっての経緯は、
・持ち運びが楽で、Macbook Proよりも軽く、電池持ちの長いセカンドマシンがほしい。
・iPad miniも所有しているが、タブレット端末は文字入力するには物足りない。やはり物理的なキーボードを備えていたほうがいい。
・Macbook AirやSurfaceもちらっと頭をよぎったが、10万近くもお金をつぎ込むほどではない。
・Chromebookはインターネット環境下でないと使い物にならないという声も聞くが、そもそもiPadやMac, PCをオフラインで使う機会は少ないし、その部分がディスアドバンテージになるとは思えない。
といったところで、2万円ほどで手に入るなら多少失敗してもいいや、と割り切りって、以下のブログやAmazonのレビューを参考にASUSのC201にした。
決め手となったのは980gという軽量さと、13時間もつという長時間バッテリー。
日本への移動だけでなく、ちょっとした外出時に持ち歩くにはもってこいのスペックという判断。
実際に届いてから使い始めて、このスペックは期待通りだったし、起動の早さや設定のシンプルさもとても気に入っている。
さらにデベロッパーモードに入ればLinux環境を構築することができ、pythonを走らせられるので、メールやウェブブラウジング以外でもやれることが増えて嬉しい。
ただ、自分にとって使い勝手のいい状態にまで持っていくのが少し面倒で、何度かやり直すこともあったため、主にデータサイエンス向けのpython環境構築については、いずれこのブログの中でもまとめておきたいと思う。
諦める力
Amazonの「Kindle Unlimited」というサービス(所定の本、コミック、雑誌、洋書が読み放題)を無料体験中で、いろいろと漁っていたところ、元陸上選手の為末大さんが書いた「諦める力」という本に出会い、読んでみた。
納得できる部分も多く、読んでみてよかったと思うし、もっと若い頃、願わくば10代後半に出会っていたかったとも思う。
僕自身、決して器用な人間ではなく、何か秀でた才能があるわけではないため、昔から、「諦めずに努力を続けていればきっと報われる」と信じ込み、がむしゃらに頑張るフシがあった。
そのために、いくら努力しても敵わない相手や、どう頑張っても変えられないような状況に出くわすと、圧倒的な力の差を感じて挫折を味わう、ということが何度かあった。
その度に、「このままではダメだ」と自分の現状を見つめ、時には努力が足りないからだ、と自分を責め、またある時には他人とは違うやり方を取らなければ自分の存在意義はないのではないか、と苦悩してきた。
本書の『「オンリーワン」の落とし穴』という節の中で、「人間に優劣はないが、能力に優劣はある」という記述がある。この部分が特に響いたのだが、それは上記のような過去の経験の中でこのような割り切りが出来ていなかったために、自分と他人を比べ(優劣をつけ)、自分より優れていると思った人を羨ましがり、自身を卑下して悩んでいたからだと気付いたためである。
こうした理由から、自分らしさを見つけなければならないと自分を追い込んでいた10代後半〜20代前半(主に大学生の頃)の自分がこの本に出会い、決して逃げではない、前向きに諦めるという選択があるということに気付いていれば、もう少し楽に生きてこられたのかもしれない。
一方で、諦めるという選択肢が与えられたからといって、簡単に夢を追いかけることをやめてしまったり、やるべき努力を怠ってしまうことが奨励されるわけではない。
才能には優劣はあるが、あくまで相対的な尺度であり、絶対な指標というものはありえない。そのため、たまたま目の前に巨大な才能が現れたからといってすぐに諦める必要はなく、いろんな角度から自分を客観視し、どういう立ち居振る舞いをするのがベターか、よく考えるべきである。
また、別の見方をすると、成功するのはバカか天才のどちらかと言われるように、周囲からいくら反対されても信念を貫きやり遂げるバカが一定数いないことには、世の中は面白くならないんじゃないか、とも思う。そう考えると、本書が与えてくれた諦めるという考え方・選択肢は、天才ともバカとも分類できない僕のような人間が、のびのびと楽しい人生を送るためのきっかけとなるものなのかもしれない。
日本への一時帰国 その2
年末年始の一時滞在中に感じたことのまとめ。
・電車とホームの間に段差があり、小さな車輪のベビーカーでは乗り降りがしにくい。
・マスク率の高さ。電車乗客の1割くらいがマスクしてる風景は少し異様。
・外で「すみません」を使う頻度が高い。とりあえず困ったときにすみませんと言っておけばなんとかなる。
・高齢者(お年寄り)の定義が難しい。公共機関でどの人に優先して席を譲ればよいか、判断しかねる場面も。席を譲られれば老若男女問わず喜ぶ人はきっと多いと思うけれど、それは一旦置いておいて。
・路線バス車内の幅が狭く感じる。天井が低いから全体的に狭く感じるだけ?
・1年半〜1年前に衝撃を受けた、爆買いしている中国人観光客が少なくなった。
・以前も書いたが、クレジットカード決済のやり辛さには少々ストレスを感じる。衣料品店なんかでカードリーダーが客側に置かれているケースも見受けられるが、アメリカやオーストラリアのように目線の高さにマウントされているのではなく、レジ台の上に置かれているため、少し腰を屈ませる必要があり辛い。
七月二十六日のこと(アイスランド)
2年前(2014年)の旅行記で、ほとんど記憶が薄れてしまっているけれど、せっかく途中まで下書きをしていたので、記事として形にしておこうというのが趣旨。
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この日は朝からゴールデン・サークルツアーに出かけた。要はレイキャビク近郊の有名観光スポットを一日でいいとこ取りできるツアー。乗り込んだのは比較的小ぶりのバスで、同じバスに乗っていた参加者は全部で15名程度。
最初に立ち寄ったのはHveragerði(クヴェラゲルジ)という温室栽培が有名な小さな町。2008年に大きな地震がこの町を襲ったそうで、そのときの様子を展示している案内所を見学した。
その後、ゲイシール(間欠泉)を一旦素通りし、先にグトルフォスの滝(通称、黄金の滝)へ向かった。45分ほどの時間が与えられ、自由に滝を楽しんだ。滝の落差は二段合わせて45m程とそれほど高いものではないが、とにかく流量とその爆音、水しぶきに圧倒された。写真にその凄みをうまく抑えられない、そんな感じのスポットだった。
次に向かったのは、先に素通りしたGeyser(間欠泉)。Strokkur(ストロックル)という名前の間欠泉で、吹き上がる高さは20mほど。5〜10分に1度吹き上がるさまは圧巻で、カメラ片手にシャッターチャンスを見逃さまいと地表を見守っていた。いたるところで蒸気が立ち込めている様子はなんとも不思議で、日本の温泉街のそれとも違うし、異国での旅情をただ楽しむことができた。
ゴールデンサークルツアーの最後に訪れたのはシンクヴェトリル国立公園。世界遺産に登録されているものの、ダイナミックに「大地が生きている」様子が実感できた先2つのポイントに比べるとやや印象の薄い場所ではあるが、ユーラシアプレートと北アメリカプレートがぶつかり合っているところと聞くと、特別な印象を抱かざるをえない。
後で知ったことだが、この公園は世界遺産でいうところの自然遺産ではなく文化遺産であり、その所以はアルシングと呼ばれる民主的な全島集会が開催されていた場所であるから、とのこと。
かくしてアイスランドの自然名所を巡り終え、首都レイキャビクへと戻った。アイスランドの雄大だがどこか陰のある景色を目の当たりにしたことで、良質な音楽を届けてくれるアーティストたちが影響を受けているであろう環境や文化の側面について知ることができ、本当に有意義な旅であった。