ysaz (ImanazaS) blog

最近はデータ分析や機械学習が中心。たまに音楽や書評。

実戦マーケティング思考

テーマ

左脳と右脳を使い分けながら、
具体性と一貫性を兼ね備えた7つのスキルを身に付け、
マーケティングに活かしていく
というのが本書の主題。

論理スキルとイメージスキル

左脳を使うのが論理スキルで、
右脳を使うのがイメージスキル。


具体的に7つのスキルを用いたフローを示すと、

  1. 論理スキル:要素分解
  2. イメージスキル:静止画
  3. イメージスキル:つぶやき
  4. イメージスキル:動画
  5. 論理スキル:プロセス分解
  6. 論理×イメージ:モーフォロジカル・アプローチ
  7. 論理×イメージ:数値化&グラフ

となる。


特にイメージスキルは面白い手法だと思った。

例えば、ガムを題材にした場合、
ある人がどんな場面で何をつぶやきながらガムを噛み、
その前後にどんな行動をとるか?
ということを想像しながら、商品の方向性を決めて行く。


口で言うのは簡単で、いざやってみれば難しそう。


でも、イメージを膨らますのは好きな作業なので、
これまで以上に身の回りを注意深く観察してネタを増やし、
新商品を企画する際のアイデア出しで活用してみたい。

宇宙・日本・世田谷

宇宙 日本 世田谷

宇宙 日本 世田谷

リリースされたのは1997年なのに、
最近になってようやく耳にした一枚。


なんで今まで聴いてこなかったのかと後悔したくなるくらいに心地よい。
いやむしろ、もっと以前にこの作品に出会っていたとしても、
彼らのサウンドが作り出す独特の浮遊感の中に気持ちよさを見いだすには
若すぎたのかもしれない。

高校生の頃は、とにかく速いか、重いものばかりを好んでいたような気がするから。


閑話休題
Fishmansの曲はどれも、佐藤伸治のとにかくゆるい歌声と、
柏原譲のグルーヴィーなベースラインが重なり、
それらを茂木欣一のドラムがしっかりと支えることで、
ダブやレゲエに通じるような心地よいリズムが生み出されている。


特筆すべきなのは7曲目の「Walking in the rhythm」。
曲のテンションもノリノリというものではなく、
どちらかといえば気怠い雰囲気。
なおかつ、ピアノの和音がどことなく哀愁を漂わせている。


とにかく、体全体でリズムを取らずにはいられない。

メンタル・タフネス

メンタル・タフネス―勝ち抜く「精神力」を手に入れる

メンタル・タフネス―勝ち抜く「精神力」を手に入れる

スポーツ心理学者である筆者が、
ビジネスの世界にも応用できるメンタル・トレーニングを紹介している。


要点として、タフになるためには、肉体的なタフネスと感情的なタフネスの
バランスを上手に保っていくことが重要、と筆者は述べている。

ここでいうタフネスとは、ストレス下での柔軟性、反応力、強靱性、
弾力性である。


常に高いパフォーマンスを発揮するためには、
バランスのとれたストレスと回復のサイクルを作る必要がある。

従って、ストレス過剰なオーバートレーニングや、
ストレス不足なアンダートレーニングのように、
あまりに平坦で線形的なストレス状態が続くのは、よろしいことではない。


具体的には、肉体的活動のあとには、体を休めるような受け身的休息を取り、
精神的活動のあとには、体を動かすような活動的休息を取ることで、
効果的な回復のサイクルを作ることが大切だとわかった。


感情的なタフさを身につけることが特に難しいように思われるが、
そのために筆者は、以下のようなステップを踏んで、
感情をコントロールすればよいと記している。


ネガティブな感情が生じた場合、それを察知する
→満たされていない必要性を知る(肉体的、精神的、感情的)
→できるだけ早く、適切な方法で必要性を満たすことに努める
→感情の状態をボジティブな状態に戻す
→満たされていない回復の必要性の中で、最も差し迫ったものの解決に
取りかかる


当たり前と言えば当たり前のサイクルだが、
ネガティブな感情に陥っているときは動揺したり、
冷静さに欠けることが多いため、
しっかりと自分の内面を見つめ直すところに立ち返れるようになりたいと思う。

レベル7

レベル7(セブン) (新潮文庫)

レベル7(セブン) (新潮文庫)

古い本ではあるが、
宮部みゆきがおもしろい、と薦められたので読んでみた。


ジャンルはミステリーといったところ。
自分にはあまり馴染みのジャンルだが、
読みやすく、確かにおもしろかった。


前半は様々な事件やら出来事が錯綜し、
非常に混沌としている。

後半ではねじれたストーリーがうまく絡まっていき、
モヤモヤ感が晴れて、読み終わったときには
スカッとした気分になれた。


そんなこんなで、続きが気になって仕方なかったため、
文庫にして600ページほどの内容なのだが、
トータル5時間くらいで読了してしまった。


他の作品も読んでみたい。

Cewbeagappic

Cewbeagappic

Cewbeagappic

レビューを書き始めてから知ったことが、大きく分けて二つある。


一つは、Beady Belleというのがユニット名だということだ。
ジャケットには女性が一人写っているだけなので、
てっきりこの人のことを指していると思っていた。

実際はBeate LechとMarius Reksjoの二人組らしい。


もう一つは、アルバムのタイトルが造語であるということ。


C = Complex(複雑な) 
E = Easy(単純な)
W = White(白)
B = Black(黒)
E = Electronic(エレクトロニック/電子楽器)
A = Acoustic(アコースティック/生楽器)
G = Groovy(グルーヴィー/動的)
A = Ambient(アンビエント/静的)
P = Programmed(プログラム)
P = Played(生演奏)
I = Improvised(即興)
C = Composed(作曲)


相反する言葉のペアの頭文字をとったということだが、
なるほど、確かにこの作品の中ではこうした相克する要素がうまく調和し、
彼ら特有の、クールかつポップなサウンドが生み出されている。

colors

Colors

Colors

これでもか、というくらいやりたい放題やっている
between the buried and meの4thアルバム。


1stで多くみられたハイセンスなモッシュパート。
2ndでのブラックメタルよろしくな凶悪性。
3rdのdream theater並みの複雑かつテクニカルな楽曲構成。

これらすべての良いところを組み合わせ、
ブルースやカントリーといった
トラディショナルな音楽の要素をふんだんに盛り込み、
よりプログレッシブに深化した作品となっている。


これだけ音源で難しいことをしているにも関わらず、
ライブパフォーマンスにはしっかりと
ハードコアのスタンスが根付いたままというのが彼らの凄いところ。


もはや完全に他の追随を許さない存在であるといえる。

初音ミク、オリコン初登場二位

初音ミクについて

初音ミクを使ったアルバムがオリコン・デイリーチャートで
二位になったことが話題になっている。
http://www.oricon.co.jp/news/rankmusic/63808/

昨日は、もともと入っていた用事がなくなったため、
渋谷に出かけてセンター街をうろうろしていた。

街頭のスピーカーから流れていたのは、初音ミクの代表曲の一つである「メルト」。
行き交う大勢の人々はどんな気持ちでこの曲を聞いていたのだろう?

カップルの中には、
「これ知ってる?」、「知ってるよ。ニコ動のやつでしょ?」
という会話が平然と行われていたのかもしれない。

さて、ネット上では、肯定派と否定派が
「おめでとう!」あるいは「日本の音楽業界も地に落ちた」
という具合に、様々な議論を繰り広げている。

ちなみに僕は、どちらかといえば否定派。

理由は、派生の仕方がなんとなくいけ好かないから。
個人個人がネット上で共有しながら楽しんでた分にはいいんやけど、
それが世の中に、目に見える形で出てくるというのがなんとも。

(一応断っておくと、中にはきっと好きな人もいるだろうし、
 気分を害されたら申し訳ないけれど、僕自身、初音ミクの楽曲が嫌いな訳ではないし、
 ただ単に、この現象に対して何かしら言及したくなっただけのこと)

デジタル・ミュージックの普及

「自分は歌もうまくないし、楽器も弾けないけれど、
言いたいことはそれなりにあるし、最近はあまりいい歌に出会えないから、
それなら自分で作ってみたい!」

そんな人が増えてきたからだろうか、
最近、どの楽器屋でもデジタル楽器コーナーが前面に押し出され、
今時の若者たちが機材を眺めている姿をよく目にする。

かくいう僕もその中の一人である。
ここまで異論はない。

表現の自由の落とし穴

初音ミクの、キャラクター自体のメディアへの露出も増え、楽曲もたくさん作られた。

誰もがクリエーターになることができ、
秘めた才能を発揮することができなかった人たちが思う存分自分の力を披露する舞台が整備された。

初音ミクの支持者達は、ソフトが発売された当時から支援し、
自分たちでこの「架空の」アイドルを育ててきた、という想いを抱いているに違いない。

自分たちがおもしろい、優れている、と思っているものを世の中に認めさせたい、
という意志が形になったのが今回のオリコンの結果なんだろう。

こういう姿勢はリベラルで、どことなくパンクっぽい側面はあるのだが、
右ならえ右の傾向が強い日本ならではの文化が象徴されている気がする。

僕が嫌悪感を示すのは、ネットの世界では匿名でまかり通れるため、
誰もが他者や社会との関係性をすっとばして、
自分が一番になれる世界を作り出せることだ。

ここで気をつけたいのは、こうした自分なりの世界をしっかりと持つ
ということ自体を否定しているわけではないということだ。

僕が警鐘を鳴らしたいのは、
周りが騒いでいておもしろそうだから、という理由で、
きちんと本質が見えていないにも関わらず、
完全に個人の手から離れたところで祭り上げられ、
大事になってしまう恐れがあるということだ。

本質がしっかりしていないのに祭り上げられたものは、
概して、脆く、崩れやすい性質をとりやすい。

しっかりと本質を捉え、地に足のついた、息の長い、
なにかこう、感性に深く訴えかけるような、
そういったものを生み出して行けるよう、
絶えず努力していくべきではないだろうか。

とはいえ結局、ものの真の価値が見いだされるまでには
時間がかかるものだから、どうなるかはわからないけれども(笑)

こうした批評については、「なぜblogが流行ったのか?」という疑問が生じた際に、
僕自身、似たようなことを言っていた気もするのだが、
やはり、本質を捉えることが一番の近道だと僕は信じたい。

音楽業界のゆくえ

加えて、機械が歌っているのを聴いて、
違和感を抱いてしまうことも否定できない。

人間の歌手が「歌を歌う機械」に負けてしまうというのはやるせないものだ。
それこそ、歌手の存在意義をも揺さぶるような大問題に発展しかねない。

「今の日本の音楽業界は廃れている」、「90年代のJ-POPは良かった」
などと、過去を美化しようとする声も出てきて然るべきだとは思う。

良い悪いは置いといて、これが今のメディアの一つの形となっている。
否定することはやめ、この流れを受け入れ、
その流れの中で、如何にして質の高いものを抽出していくかに
注力することがポイントだと僕は考える。

音楽業界のゆくえというたいそうなタイトルをつけたが、
業界の先行きは決して安泰ではなく、
大手CDショップで働いている人たちに話を聞いても、
CDの売り上げは目に見えて落ちているそう。

以下の記事の「なぜゲームにお金を払うのか」という部分で、
・「モノにお金を払う」から「体験にお金を払う」にシフトしてる
・パッケージを買うこと自体に満足を感じる人が減っている
ということが書かれている。

http://anond.hatelabo.jp/20090304124943

昔は、人気のあるゲームを持っていること自体が「体験」や「居場所の確立」に結びついたが、
ゲームをやることが当然になると、それがだんだん弱まってきたという。

音楽にしても同じことが言えるため、
かつてのようにテレビがメディアを席巻した時代が終焉に近づいているため、
人気ドラマの主題歌のCDを買わなきゃ友達の会話にも、カラオケにもついていけない、
という概念はほとんど無くなってきている。
ミリオンヒットが連発していた時代を支えてきた購買層はもはや、
CDに対してお金をかけなくなっているのだ。

そう考えると、先の初音ミクに関する一連の流れは、
「トップチャートをひっくり返し、世の中をあっと言わせる」
という体験に対してお金を払う、というイメージなのだろうか。

アニソンがよくトップチャートに入ってくることも同様に説明がつく。
テレビや新聞からバッシングを受けがちなオタな方々が、
世間をぎゃふんといわせるという経験を得るというところか。

最後に、音楽に関して言えば、「体験に関してお金を払う」上で
今も昔も変わらないものがある。

それは、ライブやコンサートで生の音を感じるということ。
その場の空気、演奏、お客さん、
全てが一回性のものである。

何度お金を払ってでも足を運びたい。
そういった場所を築いていくことが、
結局、地道ではあるが、唯一揺るがない、
確実な手段となり得るのだろう。